当社創立の由緒
当社の設立年代は不明ですが、最も古い記録として宝永3年(1706)5月、別当金蔵院が代官樋口又兵衛に差し出した書状の一節に「嘉暦3年(1328)より引き続き磯子鎮守山王大権現別当相務め候」と記されており、この嘉暦3年は鎌倉時代末期に当たるため、今から700年以上前には当社が存在していたと考えられます。
江戸時代に入り、萬治3年(1660)9月7日、嶋田代官により社殿が造営されました。当時の磯子村は天領で、治政下の住民の心を掴むため社殿を建立したものと思われます。
明治以降の当神社
明治元年(1867)3月の神仏分離により、社名を日枝大神として、新しく神官職を置くことになりました。石灯篭・手水舎・本殿・幣殿の増築及神域の整備が行われ、明治41年(1908)年には村内の稲荷社と神明社の2社を合祀し、祭神は元々の国常立尊のほか、宇迦之御魂命、天照大神の3柱となりました。
明治42年(1909)5月16日に火災のため、拝殿建物、新築した本殿・幣殿も全焼し、古記録も全て焼失してしまいましたが、大正2年(1913)に社殿が再建、大正5年は神楽殿や社務所が新築され、大正12年(1923)8月には石段・参道・玉垣等が整備され、社頭は一層荘厳さを加えました。
その後の関東大震災により、建築物は全半壊の被害を受けましたが、昭和12年(1937)年までには全てが復旧されました。そして、平成6年10月には、氏子崇敬者の浄財により、老朽化した社殿を建て替え、現在に至っています。
当神社は鎮守の杜として、地域の方々に支えられながら、昭和24年6月に児童福祉施設である日枝幼児園を創設し、氏子地域の保育に欠ける幼児を預かり、地域の福祉増進に寄与しております。
神社・幼稚園ともに公的性格を持ち、地域に開かれたコミュニティーの中心として、これからも皆様の心の拠り所として在り続けたいと考えております。
御祭神
国常立尊(くにのとこたちのみこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ)
宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)
祭礼

1月1日 | 歳旦祭 |
8月第一土曜日 | 宵宮祭 (佐相社中による神代神楽奉納) |
8月第一日曜日 | 例大祭 |
12月31日 | 大祓式 |
毎月1日・15日 | 月次祭 |